亡き友人へ
第一印象は「こえぇ兄ちゃん」だった。
彼との出会いは共通の知り合いの中では遅めの2011年初旬だった。ギタドラはVシリーズからXGシリーズへの過渡期、前職を辞め職業訓練校でのモラトリアムな日々に浸かっていた俺は余りある時間の殆どを相変わらず音ゲーに費やしていた。その最中での出会いだった。
まともに会話したのがそれから少し経ち知人宅でのタコ焼きパーティーの時だった。見た目はツン気味だが話してみると中々な好青年という印象。
XG2からはホームゲーセンで良く話す様に。大阪で行われたギタドライブにも他の仲間達と一緒に行った。ライブ前日に右目周囲をものもらいにやられてしまい眼帯を付けての参戦に驚きながらも事あるごとに色々と気を遣ってくれたり心配してくれたりした。
それからももう数えきれない程の旅と飯と酒とを共にし、10年間で積み重ねてきた繋がりは同好の士を越えた"友人"と言って良い間柄だったと思う。
小学生レベルの下ネタを急襲の如しタイミングで投下し、そして誰よりも早く顔を真っ赤にして笑う彼の笑顔に悔しく思いながらいつも笑わされていた。
その友人が先日亡くなった。
自死だった。
数日前に一緒に飯を食べ音ゲーをし、いつも通りの"お疲れ様です"が彼の最期の言葉だった。
共通の友人に連絡をする。
皆、わからない事しかわからない。
動転する気持ちとは裏腹に冷静な自分の言葉や態度。
LINEを送る度、通話を切る度、まるで鏡の向こうの自分が勝手に動いているかの様な行動と心理の不一致感に気持ち悪さを覚えた。
「何故止められ無かったのか?」
「あの時一言声をかけていれば」
「無理矢理にでも現状から連れ出せてやれてたら」
彼のつぶやきをひたすら読み返す。
彼との記憶をひたすら巻き戻して再生してを繰り返す。
そこにヒントもシグナルもあった。
誰が見ても明らかに弱っていた。
俺に出来る事はあった。
近くにいた俺だからこそ出来た事は絶対にあった。
しかし俺は彼の悩みを真正面から受け止めきる覚悟も余裕も無かった。
付き合いのある人達にDMやLINEで伝える。
それが終わる度にどうにもならない事を考える。
泣いたってどうにもならないが泣いてしまう。
SNSに溢れる日常の流れに堪えられなくなる。
この現状こそ、彼から俺への罰だと思えた。
今までありがとうと手を振って別れる。
自分を責めず、前を向いて歩く。
残された想いを受け継ぐ。
あまりにも綺麗事過ぎると思った。
都合が良過ぎる、と。
しかしこれから生きていく以上必要な過程なのは理解出来た。
人間は二度死ぬと言う。
肉体が滅びた時と、人々に忘れ去られた時。
俺が忘れない限りは彼は俺の中で想い出と共に生き続けていく。
検索して見つけ、その時はすぐに消した。唾を吐き掛けたいくらいだった。
しかし4日経ち、ようやくそんな舌触りの良い言葉達も少しずつ舐めてみようかという気になった。
亡き友人へ。
詳しくはまた墓前で。
今はただ一言だけ。
ありがとう。