2020 ふぃえログ大賞(前編)
ご無沙汰しております。
全集中(睡眠時)無の呼吸😑
を習得して久しい、ふぃえすです。
俺、何とかまだ生きてます。
■掴み
数年先に2020年を振り返る際に"コロナ"の次にこの作品の話題からは逃れられないだろうな、ってなくらいの勢いと実績を以って12/18現在国内興行収入ランキング1位に向け劇場版が大驀進中の"鬼滅の刃"。
(調べたついでの蛇足ですが現在1位の"千と千尋の神隠し"の興行収入も今夏のリバイバル上映での分が約9億くらい上乗せされたみたいですね。流石としか)
んで後年そんな"鬼滅団欒"を誰かとするのかどうかはわかりませんが、その中で自分一人だけ顎に手を当て「結局漫画もアニメも映画も観ないままだったなぁ」ってのも何とも寂しい気もするので、遠くない未来に漫画全巻をネカフェで読破してねずこをゆずこと呼び間違えないくらいの知識量は身に付けていきたいところ。え?識字力の問題?
ついでに睡眠時の無の呼吸も改善したいんですがこれは俺の減量次第ですね。癖になってんだ、息殺して寝るの。
そういやちょっと前に"ギタドラに紅蓮華が収録されるぞ!って情報が出た時周りで、「もし紅蓮華がキャプテンパンク(PONのカバーver)だったらどうする?」という議論になって、すかさず歌い出しを、
「グレンゲェエエエエエ!!!ッヨオッ😆」
「行くぜ!炭治郎(?)」
こんな感じで歌ったら皆から大丈夫かコイツ?みたいな顔されました。
だって魂のルフランでも開幕ゆったりと気持ち作る地帯があるのに我慢出来ずに「ッ魂のルフゥウラァアアアアン!!」て叫んでるじゃん。その法則に則ったら、ねぇ?
後某AVパロはめっちゃツボでした。
何の話や。
■本題
私が独断や偏見や体調や感情や精神衛生面その他諸々により、基本料理に果ては森羅万象に我がままに徒然なるままに5.0満点に採点を行なっている、たまーに地方の食レポブログとかに引用されたりもするとかしないとか?
で御存知の#ふぃえログ。
今回は約1年間に亘るふぃえログの得点の高かった上位ベスト10とワーストを発表致します。
(集計期間:2020 1/1〜12/18)
ちなみに前年2019年は、山口県下関市の"唐戸市場"が4.8で大賞を受賞しております。(次点は大阪府の"世界一暇なラーメン屋"が4.7でした)
雰囲気、寿司や天ぷらのコスパ、ロケーション、そして・・・朝っぱらから流し込む、
"銀色のヤツ"
この後、着てるこのジャケットを下関ラウワンに忘れて帰るとは夢にも思っていない、酒と旨い魚達に耽溺し恍惚な表情を浮かべてる俺です。
ワーストはこちら。大分駅アミュプラザ4Fの"辛麺屋 輪アミュプラザおおいた店"です。
こちら自分で付けておいて何ですが衝撃の0.5というスコアでした。
そんな点数出す店ある?
あるんだなぁコレが。
こちら宮崎を中心にチェーン展開されている辛麺屋さんで曰く激戦区な宮崎市の中でも割と人気なお店、らしいのですがだとしたら本店の方、今すぐこのお店に監査に入って全面的に指導された方が宜しい。
(詳細が気になる方は検索されてgoogleのクチコミを参照下さい)
今は味・接客共に改善されているであろう事を願って止みません。
まぁ私は二度と行かないので確認しようもありませんが。
さてさて!
気持ちを切り替え、まずは2020年ふぃえログベスト10〜8位まで参りましょう!!
(以下ふぃえログのスコアは同点なので同率ではありますが、点数を細分化し順位を付けさせていただきました)
10位:もつ鍋 一藤(味噌もつ鍋)
ふぃえログ 4.51
もつ鍋と聞いちゃあ俺が黙っても腹が黙っちゃあいられない!そんなもつ鍋フリークスな有志とわざわざ博多に泊まりがけで調査に行ったこちらもつ鍋 一藤。
「これ、ネズミとかハムスターなら頑張ったら渡れるんじゃね🤔」と勘違いしてしまう程に綺麗且つ重厚に並べられたニラの橋を、ニンニクの効いた濃厚味噌にもつの旨味溶け込んだ最上級のスープの海へ崩落させるところから始まり、もう後は「語る舌を持たん!食べる舌しか持たん!!もつ鍋しか勝たん!!!」とばかりに、己が"もつ"欲のまま(持つともつをかけている)心も体も繰り返す魂のルフラン状態でした。ヒトは皆、鍋から産まれて鍋に還る存在なのかもしれない(?)
会計の際、「こちら次回来店時に単品のメニューをサービスしますのでお持ちください」と人数分の店の名刺を渡されて、鵜呑みにして再来店時に「これでこの特上馬刺し盛り下さい」と名刺を渡したら、(しばらく他店員さんとのインカムのやりとりがあった後)本当に無料にして頂いて逆に恐縮してしまいました。一口にサービスと言えどサービス具合が凄すぎる。
ちなみに最近大分セントポルタにOPENしたもつ鍋屋の"徳永屋"もふぃえログ同点で負けず劣らずの美味しさでしたが、今回は全体的な満足度と上記サービスもあり短期間に2度来店したという点でこちらを選ばせていただきました。
ところでもつ鍋屋さんに馬刺しって付き物なんですかね??大体の店にはある気がする。大分にはもつ鍋屋自体少なく馴染みが無いのでそこら辺の発祥や文化がふと気になったり。
馬刺し大好きマンなので嬉しい限りですが。
9位:笑売人 CHAN炬(ハラミのあぶりタタキ、佐土原ナスのミートソースチーズ焼き)
ふぃえログ 4.52
脱法レベルのレア加減のハラミに肉の甘み引き立てる特製ダレが今も忘れられないハラミのあぶりタタキ。他の牛肉メニューも絶対美味いやんこんなの!
そして下は舌火傷マジ注意レベルのジューシーな汁飛び出す大振りの佐土原ナスに濃厚なミートソースとチーズを絡め、サクサクのバケットに乗せてオシャレに召し上がれ、って良いのかそんな事して(?)な佐土原ナスのミートソースチーズ焼き。
特にミートソースチーズ焼きはデブワイも結構腹に溜まった一品なのにこのボリュームで780円。良いコスパしてんねぇ。
と言う事で続きまして9位は宮崎県宮崎市駅前程近くにある居酒屋、"笑売人 CHAN炬"です。
宮崎在住の方にオススメしていただいたこちらのお店、実は来店する1年くらい前からずっとマークしていた念願のお店でした。
何より画像で見る料理が全部美味そうなのと、宮崎という焼酎の本場でありながら日本酒の品揃えが素晴らしくコスパも良いときたもんだ!!(焼酎殆ど飲めない)
(日本酒メニューと飲み比べSET。他のお酒も
メニューも和洋を中心に隙の無いラインナップで一品料理が数々、メニューは魚牛豚鳥の順で多かった気がします。
これも地鶏の炭火焼きやチキン南蛮等鶏料理がメインの宮崎では珍しく、そして土地柄鶏は散々食べてきてる大分人の私には有難かった部分でもありました。(結局2店舗目で地鶏もチキン南蛮も食べたんですけどね)
予約して来店しましたが、さりげなくこういったおもてなしをしていただくと本当に"あぁ来てよかったなぁ"と嬉しくなります。
店員さんの気遣いや接客も良く、平日で時間が早かったのもあってか貸し切り状態でのんびりゆったりと良い時間を過ごせました。
今回食べた料理の中で特に美味かったハラミのあぶりタタキとナスのミートソース焼きを選出しましたが、まだまだ食べられ無かった"わりそうな"メニューも沢山あったのでまた近い内にリベンジに行きたい所存。
8位:夢を語れ つけ麺(宅配)
ふぃえログ 4.54
そう、「夢を語れ」と聞けばラーメン通で知らない人はいない───
今もまだ数多のインスパイアを輩出し続けている"二郎系"の元祖にし本家本元の「ラーメン二郎」。
その中でも"富士丸系"と分類される旧ラーメン二郎赤羽店(現ラーメン富士丸)にて修行し店長の経験もある西岡津世志氏が、独立し創業したのがこの夢を語れを始めとする「ラーメン荘系」のブランドである。国内にグループ店「地球規模で考えろ」「歴史を刻め」「おもしろい方へ」等が続々出店される中で、京都は一乗寺から始まったこの"夢を語れ"一大プロジェクトは海外に進出してアメリカはボストンに出店。
そして2018年9月、何と大分県は別府市に突如としてこの"夢を語れ"は現れたのでした。
しかも創業者自らが麺場に立ち、若き未来の店長達をそこに住み込みで働かせて育てるというまさに"夢を語れ本店"として。
・・・と、これ以上夢を語れについて書いていくと非常に長くなってしまうので別府店爆誕のところで一時停止。
そんな夢を語れがコロナ禍の折に通販サイトを立ち上げ、その際の限定メニューとして「つけ麺」セットを販売しました。
(※もやしは別買です。分かり易い調理マニュアルと夢を語るグッズも同梱)
内容はつけ麺3食分に特製焼豚が1本(約500g)付いて送料込みで5000円ちょいだったかな?
ちょい高いなぁなんて思いながらも店舗への応援も込めて頼んでみたら、まぁこれが美味い!予想を上回る美味さに報酬系の分泌量もマシマシ。
二郎系の象徴とも言えるあの麺、オーションという強力粉を使用し食べた者をそのゴワッゴワでワッシワシな独特の質感と食感、そして高密度且つヘビーな小麦感で虜にする極太平打ち麺。
この麺を最大限に美味くススルTVしちゃう方法こそ、このつけ麺に限ると思いました。
と言うのもこの麺の特徴にしてある種の難点でもあるのが「とにかく増える」という事。まず茹で前から茹で上がりで1.6〜1.7倍くらいに増え、野菜や焼豚に手こずっている間にもスープの中で24よろしく増殖はリアルタイムで進行中な訳です。
こういった観点から対二郎系は"アクティブタイムバトル"と捉えるべきであり、最善策はただ一つ、電撃戦(ブリッツクリーク)であり疾風迅雷(ライトニングスピード)であり不可避の速攻(百式観音)なのです。
しかしこれでは自分の食べるペースなんかあってないようなもんだし、場合によっては好きで食べに来たはずなのに苦しくなり"食べさせられている"感まで出てしまうかもしれない。
しかしつけ麺であれば冷水でキリッと締めた状態である程度は保持出来るし、好きな量を摘み好きな分タレに潜らせ、ゆっくりと噛み締めながら食べられるのです。
そしてこのつけ麺用のタレもラーメンに比べ醤油のキレが強く感じられ、付属の唐辛子ともマッチしてより麺本来の旨味を楽しめました。味変がしやすいと言うのもかなりの利点。
結局3食分では飽き足らず、つけダレを持ち越して味変したり別途市販の麺でチャレンジしたりして食べ尽くしました。
忘れてたけどこの焼豚もまた味が染みてて美味いんだ・・・不定期数量限定で販売しているので皆様も機会があれば是非購入を。しばらく豚には困らない生活を送れます。
最後に、別府店は曜日限定で「つけ麺」やってるので是非!!
では
メスガキジャンケン〜最初は(腹パンの)グー〜
お疲れ様です。
大分の歩く軽減税率対象外品目こと、ふぃえすです。
現在2020.05.11 朝の6時前。
人類が新型コロナウイルスという脅威と戦い始めて早半年が経とうとしています。未だ流行が途絶える気配が見えず当初GW明けに解除が予定されていた緊急事態宣言は延長。
いじめの様な距離感で自粛下生活の乗りこなし方を提案し合うキャスターに、画面越しの画面越しの自宅で腕を込み物申すコメンテーターに、特別版と半を押した総集編ドラマで口に糊をして凌ぐTV局に、2mの波を求め数十kmを運転する都民に、正義の名の下に狂い犯罪を犯す謎の集団。
そして病院、保健所、介護施設、街中の店舗からの悲鳴に紛れて聞こえてくるのはパチンコ屋の大音響、
と言ったところですかね。
早くこんな日々を懐かしく思える日が来て欲しいものですね。
■〜3月
2月に課長から呼び出され、衝撃の命令が下されました。
新年度に向け業務体制が変わり、それに伴い破格の昇給と今まで実質あって無かったような有給消化と夏休みをきっちり取る事により年間の休みが8日プラスされるという蜂蜜の如し特上に甘い話を受け、すっかり吹き出しの中で豪遊しまくる画を想像していた俺に、
「ただし・・・」
と最後に言い渡された条件は、まるで裁きの雷のような宣告でした。地に描いた絵画の全てを洗い流す雨のようでした。
いや普通は業務的な事だと思うじゃないですか・・・それが"飲むな痩せろ"ですからね。
課長は"俺が何を一番苦痛とするか"をすっかりお見通しなんだ、と言う事がわかりました。
しかし変わらず吹き出しの中に浮かぶ〇〇円(昇給額)の誘惑には勝てません。餌を前に命じられた犬の如く首を縦にぶんぶん振りその場は終話となりました。
しかしその日の当直、暇になり仮眠室で横になって天井に掌をかざす俺。
(眠れない・・・)
鏡に映る血眼に潤う眼を見、思わず顔を洗いました。
理由は痛い程にわかっていました。
そして翌朝、意を決して課長を尋ねます。
うちの課長は"アウトレイジ"の二つ名を持ち、特に始業直後の30分は魔の時間とされ同部署の部下でさえ戦々恐々とし話しかけない事を心掛けている程に、朝は機嫌が悪いのです。
更に開かずの引き出しと言われる引き出しの二段目には噂話ですが所謂"チャカ"が入っているとされ、今までで3回開きかけた事があるとの事(内1回はポンコツの後輩が盛大にやらかした時でした)。
そのパンドラの箱とも揶揄される引き出しを、今朝俺が開ける事になるかもしれない。
しかし夜勤マン俺には退勤のそこでしか面と向かうタイミングは無いわけで、まして今後を左右する話であるからして日を開けたくない。
(ここしかないんだ)
そう言い聞かせ、ノックをします。
返事はありません。
恐る恐る入室。書類整理に忙しそうな課長はこちらを一瞥し、また業務に戻ります。
「課長お忙しいところすみません、昨日の件なんですが・・・」
どうした、とまだ視線がデスクから上がらない課長。戦況は、まずまずです。悪く無い。決して機嫌良くはないが対話は可能。
いずれにせよ入室した時点でコマンドは"はなす"か"にげる"しか俺には残されていません。
もしくは、"ふぃえす:しに"か。
ごくり、と固唾を飲み込む音がはっきりと聞こえました。
「その・・・禁酒についてなんですが、次回の健康診断の結果を診るまで"節酒"という事でトーンダウンしていただけないかと」
ぴたっ
と課長の手が止まり、ようやくしっかりと目が合いました。その表情は何とも形容し難いものでしたが、例えるなら「駄々をこねくり回す子供にいよいよ叱る気力も無くなって音を上げる親」のような、哀れみと諦めが入り混じった表情に見えました。
「いいよ」
ため息混じりに判決が言い渡されました。
漢ふぃえす、無事執行猶予を手に入れた瞬間でした。
そして翌日。
■4月〜
自粛の二文字が世間を覆い切る少し前に番長3で人生3度目にして恐らく最期の万枚を出してました。閉店取りきれず。
おかげで友人との串カツ飲みを(自分から呼びかけて予約までしたのに)キャンセルせざるを得ない状況に。馬鹿極まり無い。
しかしここでの轟貯蓄が自粛下生活に大いに貢献してくれたので本当に助かりました。
結局この二日前に対不要不急の"必要至急"と銘打った飲み会を行ったのが最後で、現在に至るまで店に飲みには行けていない状況です。
(串が昭和の物価で最高でした)
ほんでまぁ有志とオンライン飲み会を数回行ったり、あまりにやる事無いんで"居酒屋わりすぎ"なる妄想上の自前居酒屋を復活し、再び簡単な料理をするようになり、
自室もすっかり酒塗れになってしまいましたとさ。節酒とは、減量とは・・・その答え合わせは6月下旬に(検診日)。
しかし飲みに行かず食っちゃ飲んで寝るという生活も1ヶ月も続けば割と金を食うんだという事がわかりました。炭酸水だけで1万くらい使ったかもしれない。
■音ゲー
こちらも自粛下で約1ヶ月ご無沙汰に。
その間にブラウザで出来る解禁イベントが始まりました。
いちかのBEMANI超じゃんけん大会2020
改め、
メスガキジャンケンですね。
こちらが新キャラの、ののちゃんとみやちゃんです。
生意気なメスガキに大人が負けるわけないだろ!!
と現在4日目にして2勝1敗1分けです。
最短4日(20pt)で1曲解禁となりますが他機種イベントなので終わらせるのはかなりの日にちがかかりそうです。
負けたら"ガキが代"を斉唱して気持ちを切り替えていきましょう。
では
#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る⑤
①はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る - 風営法対象外プレイヤー
②はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る② - 風営法対象外プレイヤー
③はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る③ - 風営法対象外プレイヤー
④はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る④ - 風営法対象外プレイヤー
こんにちは。
局部主張国連邦のふぃえすです。
10店舗なんて冗談で全部書く気なんてさらさら無かったこの"#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る"シリーズですが、何とか最後まで書ききる事ができました。
これも予想以上に皆さんから反響頂いたおかげです。拙いブログですがいつも見ていただき本当にありがとうございます。
身体は豚ですが頭は鳥並みな故に中々捗らず辛かった各ゲーセンでの思い出を掘り起こし文字に起こす課程もいつの間にか大切な時間に思えてきて、これ何かに似てるなぁと考えて思い出した情景が昔幼稚園で夢中になってやった砂場での団子作りでした。
膨大な砂場からポイントを選んで、邪魔な石を取り除いて砂をふるいにかけて、慎重に水を足しながら好みの固さになるように捏ねて、形を整えたら最後に砂を振りかけて。
そうして作った団子は偽物の中でも質の悪い形も歪で汚い偽物なのに、それでも作った俺は擦った鼻の下を黒く汚して得意げだったんですね。中には蹴飛ばしたり踏み潰したりする子もいたけれど、何か気になったり不思議に思う子が足を止めたり、次第に観察したり触ってみたりする人も現れだして。稀に「いいねこれ!」と太陽にかざしてくれる子もいて。
その瞬間を求めて、そうやってまだ見ぬ誰かと同じ泥で汚し合った手と手を繋ぎ合う時を夢見て、また明日も団子を捏ねていくのが幼稚園児俺の日常でした。
結局いつまで経ってもあの幼稚園の砂場での自分と今の自分、少し前の自分と恐らくは未来の自分も、本質的にはやってる事変わってないし変わらないんだろうなぁと思いました。
続け様の自意識過剰文で気持ち悪いんですが、今振り返れば俺は"俺には俺にしか無い何かがあるんだ!"と自分の現状への不安や不満への溜飲を下げる為だけのおまじないを呟き続けてたらアイデンティティのアの字にも辿り着けずにあっという間に20代を消費してしまったような人間でした。そしてまだ、その残滓を燻らせているような人間です。
そんな拗らせるだけ拗らせてた昔の俺に「そういうところ含めてお前は何も変わってねーし変わらねーんだよ!」とゲームオーバー時の宣告のような言葉はとても送れないけれども、でも現32歳の俺には苦いけどもゆっくり噛んで飲み込める程度には受け入れられる言葉になってきてます。
何言ってんだコイツって感じですが、きっかけを得て再びブログを書くという事に向き合った事は自分に気付きを与えてくれたので大変良かったでしょう、という事でした。
9店舗目は市内にありながらも中心地から離れた立地のせいか大分でも知る人ぞ知る隠れ家的ゲーセンだったこちら、ジャブローです。
最寄駅で言えばに鶴崎駅になりますが、一本道とはいえ徒歩で片道1時間程かかり中々にしんどかった記憶があります。
あげく現地に到着したのに店の外観が完全に寂れたスポーツ用品店にしか見えなくて疲弊した俺は隣のコンビニからTAXIを呼び、
「すみませんこの近くにジャブローていうゲームセンターがあるらしいんでそこまで」
「はい、え?ここですよ?」
という恥ずかしい出来事もありました(謝罪して初乗り料金を払おうとしたけどにこやかに断られそのまま帰っていった)。よく見たらジャブロー書いてあるやんていう。んでクラブのスペルミスってるやんていう。
そんな歩いて行くにはかなり僻地な場所でありながらも左手にはコンビニ(昔あったエブリワン)右手には24h営業のスーパー銭湯ぶんご温泉高田の湯があり、ジャブロー自体も4時くらいまで営業していたので長時間粘着組の受け入れ態勢は完備されていました。
ジャブロー閉店まで遊ぶ→銭湯で一風呂浴びてサッパリしスロの珍古台や脱衣麻雀で遊ぶ→5時にエブリワンのパンが焼き上がるので(特に牛乳パンが◎)それを齧りながら帰宅し就寝、というここでしか出来ないハイパーニートムーブは当時の俺の何てことのない1日を充実させてくれました。
筐体は県下最後のギタドラ白筐体を置いていたゲーセンでしたが肝心のメンテはあまり良く無かった(特にギター)印象。閉店と共に白筐体は大分から消滅してしまいました。何故フリッパに引き継いでくれなかったのか今でも残念で仕方ありません。
逆にポップンは旧筐体の中では個人的に一番やり易い神筐体でした。5〜6年前48や49の新規クリアが中々増えず地力が伸び悩んでいた時期にずっと寄り添ってくれた思い出深い筐体でした。こちらはフリッパに引き継がれたものの中館の窓際、昼は直射日光当たりまくりでプレー不可レベルの場所に放置されたあげくしばらくして飛ばされてしまいました。恨みでもあるのか。
他もデラゆびリフレク珍しいとこでDJMAXがあり後期には唐突に5鍵FINALを入れたり、セガ音ゲーも積極的に導入し入り口右手にコーナーを作って連日かなり盛況していました。そして何故かコナミ音ゲーでゆびリフレクだけ同コーナーに出向されてたのも印象的でした。やはり恨みでもあるのか。
街中の方からするとドライブや気晴らしがてら立ち寄るような感覚だったかもしれませんが、県南勢からすると"車なら大分への所要時間の約2/3で行ける場所・現行シリーズほぼ完備・過疎気味で粘着し易い環境・深夜営業ゲーセン"という事でかなり重宝させていただきました。連動解禁を少しでも進める為に24時に仕事終わってそこからジャブローに閉店まで、なんて日も珍しくありませんでした。
そんなジャブローですが、従業員の方曰く"経営者の意向"により突如2017年1月末に閉店が発表され、更に"諸般の事情"により期間が前倒しされ2016年12/21をもって閉店となりました。
年末年始の休みで閉店前最期の来店をしようと自分含め多くの方が計画をしていた中でのいきなりの閉店は非常に残念でなりませんでしたが、この悲劇は後に別店舗でも繰り返されるのでした・・・。
■アミュスポ
最後となる10店舗目。やはり最後に語るのはこのゲーセンと決めて書き進めて参りました。ギガが僕にとって世界の中心ならば、アミュスポは世界の最果てのような場所でした。
もうこれ以上は無い場所と言えるくらい、環境・人・思い出・ソファーが揃った最高で最強のゲーセン、僕のアルカディアでした。
今も続く色んな音ゲーマーとの出会いの場所として、色んなネタ話や物語の始まりの舞台として、様々な人が偉業達成を果たした伝説の地として、何度も文章にまとめようとしましたがやはり"この店を語るにはあまりにも"砂場が大きすぎる"ので、この店で一番お世話になった筐体についてと、閉店に纏わる話を少しだけ語らせていただき、このシリーズの終わりとさせていただきたく思います。
■ソファー
夢に敗れし者
酒に溺れし者
眠りに誘われし者
ゲームや人生に困憊せし者
その他あらゆる人間その全てを優しく迎え入れ暖かく受け入れてくれたアミュスポのソファー。
この休息の慈悲を享受する事を私達は"吸い込まれる"と表現し、休日の前夜や饗宴の後には好んで吸い込まれていき、時には自らの陽だまりを奪い合うかの如く睡眠下での激しい場所の奪い合いや闘いも繰り広げられた。
■閉店について
こちらもやはり"経営者の意向"により突如2017年8/21の閉店が発表されました。
そして先のジャブロー同様に"諸事情"により2017年7/31に前倒しされ閉店となってしまいました。
これも盆休み等を利用して最期の来店をしようとしていた方達の想いを打ち砕く発表であった事は言うまでも無いでしょう。
ここまで書いたら他県の方でももうお分かりかとは思いますが、というかフリッパーの時に触れましたが今までに書いた閉店又は閉店騒動があったフリッパー・ジャブロー・アミュスポは"全て同一の親会社"です。
フリッパーの閉店発表時に諦観ムードだったり前倒しするから早めに行かないとといった意見が多かったのもその為でした。直前に前例が2件もあったからなんですね。
経営方針等僕が口を挟める事ではないのでノーコメントですが、閉店するにしたってなぁ!もっとやりようがあんだろうが!
と燻らずにはいられないものがありますね。
■最後に
最終日に撮り貯めたアミュスポ店内の様子を貼って終わります。
この#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語るシリーズ、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
では
#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る④
①はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る - 風営法対象外プレイヤー
②はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る② - 風営法対象外プレイヤー
③はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る③ - 風営法対象外プレイヤー
前回からかなり間が空いてしまい申し訳御座いません。
もうすぐ母になるふぃえすです。
これでもやれる事はやったんです。
見れば分かりますが嘘です。
■トライセン佐伯店
7店舗目は、09年ふぁんたじーぱーく亡き後を継ぎ、11年閉店時まで県南の音ゲーマー救済地として我々に光明を与え続けてくれたトライセン佐伯店です。
といっても開店時や通い始めの記憶は無く、記録も09年の日記に「2年半振りに行ってみたら割と良さげな環境なってた」くらいしか書いて無くて詳細な情報は書けそうにありません。
恐らく先のふぁんたじーぱーくに完璧に近い環境があって且つ佐伯は臼杵に比べて距離が遠かった(地元から佐伯は電車で片道3〜40分くらいかかる)為だと思われます。
後に通い始めるのは昔からの友人がそこでバイトを始めたからで、彼にクレーンゲームで忖度をしてもらおう!という極めて不純な理由によるところでした。んで行ったら居なかったという。神様は見てるんだなぁ。
しかしそこでギタドラV6を触りかなり過疎な環境と問題ないメンテ状況を知り、集中してやりたい時等に徐々に通うようになったのでした。
普段3曲設定で雨が降ると100円2クレ。確か○曜日は4曲設定!とかだったような。この頃になると逆に珍しかったですけどね3曲設定。
その設定のせいかはわかりませんがとにかくギタドラ勢は少なかったですね。臼杵はそこそこいるのに佐伯だと学校帰りの高校生とかも殆どいないか違うゲームやっててずっと不思議に思ってました。他ゲー埋まっててもギタドラだけ閑古鳥というのは日常でした。
しばらくしてデラも入荷して、音ゲー機種がDDRデラポップンギタドラ等一式揃って良好な環境になっても全体的な客に対する音ゲー勢の割合はやはりそこまで伸びてるように見えなくて、佐伯で音ゲーは流行らないのかな?と思うくらいでした。
特にデラは友人の彼がこまめにメンテしてくれてたおかげでかなりの良メンテでした。周りにもあの筐体のファンがいて、中には閉店後稙田のスプロールというゲーセンに筐体が引き取られた後を追いかけ、そこに通う人がいたくらいでした。俺もリゾアン時代はほぼ佐伯でプレイしてました。北斗に限界を感じて1048式でイチから運指を組み直したつらい時期でしたがこの筐体に助けられて今の地力を手に入れる土台が作れたと思います。
他には、「宮崎市内のゲーセンまでの距離より佐伯までの距離の方が短いから」というかなり辛い消去法での選択だったとは思いますが、宮崎県勢の方もちらほら見かける事がありました。例えば宮崎県北の延岡からだと幾ら佐伯の方が近いからといっても当時車で片道1時間半程はかかる距離な訳で、話を聞いた時は"大分はまだ恵まれてる方なんだなぁ"としみじみ感じたものでした。
結局11年に惜しくも閉店となり、一部の筐体を引き継いだスプロールも3年後の14年には音ゲーを撤去されたとの事でした。
いずれも良メンテで思い出深い筐体だったので、今も日本のどこかでひっそりとでも稼動していたら良いなぁと思う今日この頃でした。
■フェスタ佐伯店
8店舗目は同じ佐伯のコスモタウンというショッピングモールの一角にあるフェスタ佐伯店です。
11年にトライセン佐伯亡き後、この店もトライセンの時と同様に"県南の音ゲーマー救済地"としてのバトンを受け取る形となります。
当初は音ゲーといってもコナミ産はオフラインでバージョン遅れのポップンがポツンと置かれているだけ。しかも画面焼けしてて"ずっとタイトルロゴがうっすら表示"というオジャマを強制される筐体でした。なので他のモールの店に寄った時に暇つぶしに1クレ触るか、くらいの店でしか無かったわけです。
トライセン閉店後もしばらくは変化無く過ごしていましたが、13年夏に急遽"SOUND VOLTEX入荷します!"との情報が!!ふぁんたじーぱーくギタドラ入荷時並の衝撃ニュースでした(丁度Ⅱの稼動開始直後とかだったかな?)
それによりポップンも数作振りに最新ver且つオンライン稼動に。新フェスタ時代の幕開け、記念すべき元年と言うに相応しい出来事でした。
そこからは年単位ではありますがユビートやリフレク等続々と当時の新規参入音ゲーを入荷していき、14年には待望のデラ(当時の新筐体であるSPADA筐体)も入荷。
したのは良かったんですがボタンはバネとスイッチが所謂100:100と呼ばれるデフォルトで激重、パセリがスタンダードで消費247パセリ(1クレ200円)でこちらも激重と「これ誰が遊ぶねん!」状態。
クレジットは記録によると13年12月には100円になったようですが・・・パセリの設定に関してはしばらくの間店員に掛け合っても取り合ってくれない状態でした。常連だったプレイヤーが何度も話をしてようやく通常の料金設定に近い料金(ライト104スタダ124)になる頃にはもう次回作というタイミングで、新作になってまた設定がデフォになってまた店員に・・・という負のスパイラルがありました。他の音ゲーは確かどれも通常の料金設定に近い料金なのに何故かデラだけはよくわからん特別な取り扱いをされてたなぁ。
今は改善されていますがそれでも何故か他店のデフォより必ず数円は高い設定なので、少なくともライトモードを選択するなら(今時珍しい)100円プレーが推奨されるお店です。
自分が触る機種では特段これは!といった問題を感じた事はありませんが、上記の点含めて店員さんの対応に少し不安がある部分は否めません。良好なメンテはあまり望めない、というかしっかりメンテ出来る人がいるのかわからない(メンテしてる店員を見た事がない)のが正直なところです。
その他では16年にチュウニズムを、去年にはオンゲキを導入しセガ国民にも光明を照らしましたが、以前よりは確実にプレー人口が増えたとはいえまだまだ閑散とした店内状況は続いているようです。
この脈々と受け継がれてきた"県南音ゲーマー救済バトン"も現状このフェスタが最終走者。後はゴールテープを切るのみで現時点で次のバトンの受取手は存在しません。
県南唯一の現行最新機種がプレー出来るゲーセンに変わりなく、トライセン同様やはり今でも宮崎県北の方からも最寄りのゲーセンとして重宝されてる可能性がある店ではある為、こちらも"あるだけ有難い"と寛大な気持ちが必要なのかもしれません。
さて、次回の2店舗でこのシリーズは終了となります。宜しければ次回もお楽しみに。
では
#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る幕間に
①はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る - 風営法対象外プレイヤー
②はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る② - 風営法対象外プレイヤー
③はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る③ - 風営法対象外プレイヤー
■幕間
このようなゲーセン回顧録を書いていたせいか、先月末から今月頭に掛けて、ゲーセンに纏わる夢を連続でみる事がありました。
「お久しぶりです。○○です。ブログを拝見して連絡しました。実は県内某所に最近出来たゲーセンがあるので今度一緒に行きませんか?」
もう数年会ってない連絡も取っていない地元の知り合いからこういった内容のDMが唐突に送られて来るところから始まって一緒にそのゲーセンに向かうのですが、必ずある瞬間に現実との矛盾を感じて「あぁ、これは夢なんだな」とはっきり自覚・認識してしまうんですね。
例えばかなりの距離を移動したはずなのに空が夕暮れから変わらないとか、ゲーセンの機種が旧世代のものなのにePASSが使えたりだとか、地力の数倍ギタフリが上手かったりだとか。所謂"明晰夢"というものです。
俺はそのゲーセンの駐車場で「これは夢だ」と伝えるんですが向こうは何言ってるんですかと笑って誤魔化すんです。そしてにやりと笑って「夢ならばそれを証明してみせて下さい」と言ってくるんです。
俺が最近車を買い替えた事を知らないはずなのに待ち合わせの時何故か車の前に待っていたり、俺が(付き合いがあった当時に比べ)かなり太ったのに変わってないと言って来たり、そもそも君が昔のままで格好も背丈も顔も何もかも変わってないという事を的を射抜いたかのように得意げに言うと、笑顔のまま「車はTwitterで見たから知ってる、変わってないというのは皮肉で言ってみた、私が変わってないのは成長してないからですほっといて下さい」といかにもな調子で誤魔化すんですが、その後急に声のトーンを変え、
「夢なら、夢でしか出来ない事をやらないともったいないですよね?何か、あるんじゃないですか?」
「何で、自分でそう思ってるのに、何故どうにかしようとしないんですか?」
突然の舞台転換で気付くと帰りの車内、彼女は左後部座席に座ってミラー越しに俺を半ば睨み付けるような感じで見つめたまま、突然そう投げかけてくるんです。しばらく黙っていると、
「じゃあ、さっきの場所に何か印となるものでも置いておきましょうか?それかこの事をブログに書いてもらえればDMかコメントでも送りますよ。では」
と言って
夢が醒めるんです。
夢の世界なので全ては自分の記憶から作り出されたものだから物事の辻褄が合わなくても大抵は合点がいくんです。例えば"何故どうにかしようとしないのだ?"のとこは好きな作家の後書きで覚えてる言葉がたまたま記憶から引っ張り出されて反芻されただけだろう、とか。
ただどうにも最後の二言三言だけが妙にはっきりと覚えている上に反響していてしばらくは絡まりついて離れませんでした。
無駄だと分かってるはずなのにDMの痕跡を探してみたり、現実のその場所を通り過ぎてみたり、挙句まんまとブログに書いてしまったりする自分がいて、自ずとイコールの右側を知らされた俺はおぞましさに全身がむず痒くなりました。
馬鹿らしいくらいの夢物語なはずなのに絶妙なリアルを混在させた上で途中から首輪を外されるせいで、まるで背を伸ばせば今からでも掴めそうな錯覚に陥ってしまうというか。
明晰夢が毒になるというのが少し分かった気がします。
では
#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る③
①はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る - 風営法対象外プレイヤー
②はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る② - 風営法対象外プレイヤー
こんにちは。
背中には"調子に乗っています"腹には"脂が乗っています"のステッカーが貼られているふぃえすです。
先日、佐世保の三冠王にて尊敬する兄貴分の"拘束アクメイラ○チオ(ギタドラCN)"こと"佐世保の初老イ○マチオ研究所(@の右側)"こと"佐世保の性犯罪(過去与えられた偉大なる二つ名)"こと、しんさんに久々にお会いしました。
(これは再会に一入である二人を撮影した画像。上が僕、下がしんさん。加工も僕)
世間話の最中突然しんさんに、
「体重何キロ?100kgないの?あるやろw」
と訊かれ咄嗟に「熱も測らなければ風邪にはなりません。つまりはそういう事です」と濁らすべく茶を指でかき混ぜまくりましたが、帰宅後どうにも気になって「ギリギリないであれー!」と体重計乗ってみたらガンガンありましたね100kg。
むしろ102kgでしたね。
あれ俺今米袋か何か抱えてる?と思ったけど気を付けしてましたね。
なので正直に報告しました。
というわけで、"The Least 100 kg"始動です。
ちなみにLeastはlittleの最上級で最小の〜とかほんのわずかな〜という意味らしいです。本来交わらざる二つの交錯。ほんのわずかなかなりのデブ。まさに令和を彩るプログレと呼ぶにふさわしいのではないでしょうか?
才能に満ちた若き太り手を募集します。
食べろ、そなたは美しい。
さて、そろそろ馬鹿はやめて本題に移ります。
■ゲームプラザアンアン大分店
5店舗目は何故か"アンツー"と呼んで憚らない勢が何人かいたこちら、通称アンアンです。
ここは大分格ゲー界の聖地として一世代を築いたゲーセンとして名が知れているのが殆どですが音ゲーも新旧一通り揃えていたお店(2Fには1クレ30円の5鍵FINALがあったり)で、僕が初めてアーケードのデラを触った店でもありました。
当初家庭用10thと専コンで六段まで取ってたんですがアーケードをやってまず"待って!皿に指が届かねぇんだ!"となって1クレ目の2曲目にして即運指を改めた(1鍵を左人指→親指)のは未だに覚えています。verはDistorteDの後期だから2006年の秋くらいだったかな?
まだまだギタフリBOYだったんで基本はギタフリ粘着しつつも、あまり客がいないのと鍵盤の軽さを好みデラもよくコソ練してました。
ギタフリは別に何か特別良いという部分はメンテ的にも環境的にも無かったんですが、何故か自身のギタドラ史を飾るメモリアルなリザルトはこのゲーセンで出しまくってました。ミラージュ赤OやDD6赤Oが繋がったのもここ。赤ネ達成も確かここ。未だに謎です。
後はポップンでまだ上の中難度(現43〜45辺り)をヒイヒイ言いながら叩いてた時代に確かホームページ(当時携帯向けフリー作成エンジン【ふりーぺや魔法のiらんど等】が流行ってて御多分に漏れず僕も作ってた)経由で知り合った後輩の彼に色々とアドバイスを貰ってた時期、よく通ってたのがアンアンでした。
当時の自分から見て腕前的に天上人だった彼とも紆余曲折経てしばらく会わぬまま時が経ち、7年かくらい前に何かの偶然で再会しその時には地力差はかなり縮まっていました。ただ数年という"間"がそうさせるのか、必要以上にぎこちなく話して別れまた彼とは疎遠となり今に至る訳ですが。
もし今度また会えたら、「君のおかげでまだ僕はポップンをこんなにも楽しめているよ。あの時は色々と教えてくれてありがとう」と伝えたいなぁなんて思ったりします。
で、結局駅近の立地で粘着出来る環境てのが良かったのかなと思います。何度も歩き回ったからか高城駅歩道橋降りて左の裏手の道だったり、少し変わってしまった197号線の風景なんかは今も鮮明に思い出せます。
アンアンも2012年に閉店後今はゴルフ用品店になっていますが、居抜きで建物の外装とカラーリングが変わってないせいで前を通る度にアンアンの面影がうっすら浮かび上がるんですよね。
遊び場だった公園や通ったおもちゃ屋の跡地や秘密基地を作った山や川の前だったりを通り過ぎる時に思わず窓にしがみついたり目を見開く子どもの様に、当時の自分がまだそこで元気に遊んでる様な残像と感覚に背中を引っ張られる思いがするのでした。
■ギガ津留店
6店舗目はギガ津留店。僕の世界の中心だった場所であり一番通ったゲーセンです。
(全盛期、2F期、終末期に分けて書いていきます。細かい部分間違っていたり記憶が前後している可能性がありますのでご了承下さい)
・全盛期(2007〜2010)
このゲーセンも先のアンアンと同じ197号線に面してる場所にある為、名前を聞いて軽い気持ちでアンアンから徒歩で目指したら思いの外遠く、着く頃には疲労困憊して何もせず帰路についたのが一番初めの思い出でした。
立地的には大分駅方面からの方が近い為バスでよく通っていました。駅からOBS前で降りて180円だったかな?最寄駅だと牧駅になりますがかなり歩かされます。
ギガは建物西と東にそれぞれ入り口があり、東側は入るとすぐ2Fへの階段とマリオの人形がお出迎えしてくれました。
(改装前か何かで撤去された時何故かDDRに置かれた人形)
2Fは当初メダルゲームやスロット等の大人コーナーで1Fにクレーンゲームと音ゲー格ゲーが並んでいました。verがGOLDになる頃にデラが(再?)導入され、ギタドラデラDDRが壁際一列に配置され少し離れてポップンDivaが置かれていた時期に猛烈に入り浸っていました。
ギタフリではスキル的にもそこそこ名の知れたプレイヤーとなってた(何でもかんでもスパランかける馬鹿として)おかげもあってか、このゲーセンでギタドラ勢中心にそれまでの倍以上の色んな方と知り合う事ができました。
初めうっちーくんに「ギガにホラ吹いて調子乗ってる奴がいるんでふぃえすさんの本物のスパランでわからせにいきましょう!」と唆され謎のカチコミに行ったりしたんですが、スパランに本物も偽物も無いし結局この子とかアニュスのスパランか何かやって納得して帰っただけの夜で(結局そいつはいなかった)今思い出しても訳分からなくて笑えてきます。
間違いなくあの時の俺はギガ勢で、趣味の音ゲー動画集の舞台もプレイヤーも殆どこのゲーセンだったし、必勝の台(アームの設定がガバガバで景品横に付けて回転ボタンを押してるだけでスピニングバードキックよろしく豪快に蹴り落としてくれる台があった)で皆でお菓子分け合って食べたり、今では当たり前にしてる音ゲーマーと飯行ったり飲み行ったりだとかもこの頃ギガに通い出してからでした。
(40kgくらい痩せてた頃のギガ勢時代。お菓子以外にも今の自分が失った物や無い物をたくさん持っている。泣ける)
HID+SUDの使い手であり、大分音ゲー史を語る上で欠かせない彼の名はいんてる。
V6のクエスト"「Tizona d'El Cid」のEXTREMEを「SHUTTER 0%→80%」でクリア"を彼は何を思ったのかHID+SUDのオプションを付けたままチャレンジ。
画面下から迫りくる壁、「あああ誰か助けてぇえ!!」響き渡る彼の悲鳴と周りの爆笑。
そして壁は無情にもHIDSUDの間を覆い被さり、なす術なく死んでいったのでした。
他にはポップンの謀反トランスの中盤、DJTAKAがオペラ調に大声で歌う箇所を声量含め本気で真似して、近くの格ゲーマーが驚いて画面放置して負けたり店長が飛んで来て次回出禁の警告を喰らって「この店は何もわかってねぇ」と何故か逆キレしたり。
ほんと馬鹿すぎて今でも語り草です。
・2F期(2012〜2013)
ギガにXG筐体が入荷したのはXG3からで、Vシリーズを卒業してXGのスキル上げに邁進していた僕はその間しばらくギガは離れ気味でした。
そうこうしている内に気がつけば店舗改装となり1F部分が消滅。2Fに残存する全ての筐体が詰め込まれました。それでもフリーwifi完備したりリフレクやゆびには外部モニター付けたりと、限られたスペースの中でも配置などの常連への配慮や新規獲得への試行錯誤が感じられる環境でした。
その後2013/6月で閉店とのアナウンスが出ましたが、店舗西側の棟を改装し規模縮小の上営業を続ける事となりました。
・終末期(2013〜2016)
昔格ゲーやスロットが置かれていた西棟に音ゲー格ゲーその他筐体を詰め込めるだけ詰めたそこに昔のギガの面影は最早ありませんでしたが、手狭だけど充実していてどこか安心する雰囲気で結局閉店する2016/8/31の最後の最期まで通う事になります。
(何故かまともな内装の画像がなかった。これはゆびの横にあって邪魔だった首と手がよく曲がるガンダム。さぁ?と言わんばかりのポージングに固定しても翌日には必ずこの様に直されてしまう)
2F期より行く頻度が急増した主な理由はこのブログを始めるきっかけにもなったCOJとの出会いなんですが(経緯は最初期のブログに書いたので省略)サンボルやポップンとの筐体とも相性良くそちらも精力的に触っていました。
ギタドラ前のスペースとその横の荷物置き場兼充電スペースがかなり狭くて、というか基本全ての間隔が狭いのである時は格ゲー勢と言い合いになる事もあったみたいですが、基本は狭いながらもそれぞれの界隈で住み分けてて平和な雰囲気だったように思います。
そしてカウンターにはコーヒーのドリップマシンが置かれていて来店時1杯限定の決まり元無料で提供されてました。店長の計らいでした。
冬の時期は自動ドアを潜り、荷物置きに鞄を突っ込み手をさすりながらドリップマシンのボタンを押し、立ち昇る湯気の向こうに皆のプレイをギャラリーしつつコーヒーをすすり手を温めたりしてました。
トライブーストでの新要素"プレイヤーボード"で稼働日か数日後かにみぎたくんによって作られたこのボードを見て閉店後の駐車場でひっくり返って爆笑した夜を昨日のように思い出します。クソ強囲いマン。シンプルイズザベスト。大好きです。
と、思い出は書き出すと止まらなくなるし悲しくなるのでこの辺りにして。
このゲーセンを中心として膨らんでいった相関図の大部分は今でも続いていますし、人との繋がりに関しても自分の成長に関しても沢山の機会を与えてくれた場所だったと思います。
もちろん全てが全て良い思い出とも言えませんし過去を美化するつもりもありません。
それでも、今はただ感謝しかありません。
続く
#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る②
前回はこちら#いいねの数だけ行ったことあるゲーセンについて語る - 風営法対象外プレイヤー
■フリッパーズクラブ/FPC遊えん知
3店舗目は県下でも最大級の規模であり、かつては"不夜城"としておはようからおやすみまで市内のゲーマーの欲求を満たし続けた伝説のゲーセン、フリッパーズクラブです。
現在残存している建物は3枚目の"遊えん知"のみで、1枚目は建物を取り壊し駐車場に、2枚目の建物の左側が辛麺屋に、右側が1階が川の駅(道の駅のようなもの)2階がなんと"学習塾"という何とも奇抜なテナントの組み合わせとなっています。しかも遊えん知側と通路が繋がっているという。
以前は1枚目が"本館"2枚目が"遊えん知別館"として同敷地内に3つの建物があり、それぞれ建物や階層ごとに種類別にゲームを配置していたり、一時期は本館2Fにカラオケやライブスタジオやエクササイズルームを設置したりそれより昔は遊えん知側に釣り堀があったりと多角的過ぎてゲーセンと言うよりは総合レジャー施設的な感じでした。
俺がこのゲーセンに本格的に通い出したのはギタドラV3になってからなので2006〜07年くらいからだったと思いますが、音ゲーは主に別館か本館もしくは(機種によっては)両方に置かれていて、時間帯によって本館と別館を行き来していた記憶があります。機種もその当時の最新機がほぼ2台ずつくらい置かれてたかな。
本館の扉を抜けた瞬間から感じるあの"昔ながらのゲーセン"の雰囲気が好きで、特に深夜帯はディープなスポットとして愛用していました。
デラが半個室のような場所に2台設置されていて仕事帰りの方がスーツのままひたすら粘着しているのを後ろでまどろみつつぼんやり眺めたり、その横の個室がスタジオ仕様で防音の為かギタドラがやたら爆音仕様かつ何故かノーツも爆速仕様(体感でハイスピが0.5〜1早く感じた)で眠気も吹っ飛ぶジャンキーな筐体だったのでそこで仲間と朝まで馬鹿やったりと、心地良い手狭さも相まって何だか秘密基地のような空間でもありました。
思い出としてはやはりV時代からXG3まで定期的に開催されていたギタドラ大会でしょうか。
個人戦タッグ戦チーム戦紅白戦、イントロクイズやカルトクイズ等色んなフォーマットの大会に出させてもらいましたが本当に楽しかったです。
↑賞品でもらったパネルに皆に寄せ書きしてもらったもの。宝物です。未だ部屋に飾ってます。六段取りますだの目指せ全国だの好き勝手落書きしてるのがらしくて好き。
大会での印象的なエピソードは歌詞からの曲当てクイズで"水面に浮かぶ小舟よ 彷徨い光の世界へ"(答え:Captivate〜裁き〜)をチームリーダーの俺が"黄金岬"と回答して周りを騒然とさせた時と、うっちーくんが相方のみぎたくんとチーム名を"ち○ぽ"か"カルマ族"で最後まで悩んでた事(※カルマ族とは地下タイに夕方から出没する、カルマを始め有名版権曲をオートバスでひたすらプレイしまくる近隣の高校生の集団の事である)とか、大会前日の18時に「明日18時から大会あるから宜しくね」と電話したのに当日来なかったから大会後連絡したら「え?まだ3時間しか経ってないやん」と丸一日熟睡した結果時をかけてしまった彼とか、気に喰わない事があったのか大会途中でいきなり失踪した人がいたりだとか、こちらも忘れられないラインナップです。
その他語れば話が尽きない程色々と世話になっているフリッパーズクラブですが、去年の年末にいきなり"上層部の意向で年明けに閉店する"旨の発表がありました。
ホームにしてた人を始め県外の方も急転直下、正に青天の霹靂でしたが、実はこの親会社は同系列のゲーセンで"急な閉店発表。更に当初の予定を早めて閉店"という事を少なくとも2店舗(ジャブロー・アミュスポ)で、しでかしていたのです。
しかし"本丸かつ最後の砦"であるフリッパーまでもが同じようにいきなり2ヶ月余りで閉店するとは流石に思いもしませんでした。しかも店長以下は何も聞かされていなかったときてる。本当の話ならば滅茶苦茶過ぎです。
そして過ぎる不安。前例に倣えば1/31まで絶対に営業は保たない。下手をすれば1月半ばには閉店するのでは?と周りでは実しやかに話されてました。
結果的には規模縮小・営業時間短縮のもと2月以降も営業をする事になり(10月現時点も営業中)ひとまずはホッと胸を撫で下ろしたのですが、上記の通りどんどん敷地を売却貸出したりしているので正直いつ閉店してもおかしくはない状況に変わりないと思っています。
自分に出来る事と言えばただひたすらお金を落としていく事くらいですが、何とか後5年は存続していって欲しいと願って止みません。
■ファンタジーパーク/ふぁんたじーぱーく/不安多爺公園
4店舗目は大分でも知る人ぞ知る穴場的なゲーセンというかゲームコーナーのファンタジーパーク。こちらは臼杵市にあるマルショクサンリブの2Fの一角にありました。
まず立地が最高でした。実家から二駅の近さの場所で最新の音ゲーが堪能出来る。音ゲーをやる為だけに毎度片道900円の切符を買い1時間掛けわざわざ大分まで出向いていた田舎住まいの俺にとっては、それがとにかく嬉しく有り難かったのです。
あまり良い画像がありませんが、入口からパッと見はパステルカラーのよくあるキッズ向けゲームコーナーで、奥まったところに格ゲーや音ゲーレースゲームが置かれていました。
機種はDDRスパノバ→後にデラと交代、ギタドラポップン(最大2台ずつ)、5鍵FINAL(ミニ筐体)だったかな?何か抜けてるかも。
ジョイタウン閉店後はデラギタドラポップンを1台ずつ入荷増大し、県南でも最大のゲームコーナーとなりました。
当時この店の近くの某ファミレスにバイトしてた時期があって、その時はバリバリのギタフリBOYでしたが現行機がオフラインのポップンカーニバルしか無くてバイト前の暇つぶしにと仕方なく触り始めたのがキッカケでポップンにどハマりしていく事に。
その後e-amuが開通しポップンFEVERはオンライン対応となり、しばらくすると念願のギタドラV3も入荷され最高の環境を手に入れました。V3のバトルモードを通算約2000回はプレイしましたがこれは一重にファンタジーパークの存在のおかげです。
デラもジョイタウンのGOLD筐体を引き取り、エンプレス稼働終了までひたすらこの筐体で頑張ってました。今までの音ゲーライフの中で一番相性が良かった筐体でした。
店長さんも気さくでメンテや反射がどうかと常に気にかけてくれたり、趣味でやってた動画撮影の時も快く協力していただいたりと色々良くしていただきました。
ゲームコーナーでありながらもあれ程平和でのんびりとした空間で伸び伸びと音ゲーが出来るのはここだけでした。
平和過ぎて「兄ちゃん何やってんの?」と悪ガキに赤ポップ君をピンポンダッシュされたり、フルコン前で集中してる最中「唐揚げ1パック298円!298円でタイムセール開催しております!」と店内スピーカーがこだましたりしてましたが、無くなった今ではそれも全て懐かしく感じます。
当時好きだった娘とポップンを競い合ってて、意を決してローカル対戦でプロポーズEXを投げたらガチ曲でボコボコにされて、しばらく後に正式にフラれて大号泣したりだとかも、今は良い思い出です。
閉店改装後はにこにこらんどと改名し今は太鼓が置いてあるだけの正真正銘のキッズ向けゲームコーナーになってしまいましたが、今でもこのマルショクに用がある時は2Fに上がり、当時の自分達を思い浮かべながらノスタルジーに浸って、少しだけアンニュイな気分になるのでした。
続く